経済・産業基盤が確立されてきた近代日本において、関西の経済産業界では「企業は社会の公器」「三方よし」といった公益資本主義的な経営理念が確立されていった。
この経営理念をベースにコーポレートガバナンスに関して現代的定義をすれば、一点目は「多様なステークホルダーを重視した三方よしの経営」、二点目は「中長期的な企業価値向上と、そのための建設的な対話」、三点目は「単なる形式の整備ではなく、実質を伴ったガバナンスの追求」を基本とする。
この精神は、江戸時代の三豪富と呼ばれた住友・三井・鴻池の基本的事業精神として現代に至るまで多くの企業グループに影響を及ぼし、長きに亘って日本企業の精神的バックボーンとなり日本経済活動を支えてきたといえる。
戦後、世界の資本主義国家は米国流の影響を受け、経済活動にも大きな変化を経験することになった。日本も例外ではなく、特に1970年代以降、米国の株主第一主義的な考え方が強まり、配当税率の引き下げや自社株買いの規制緩和などが実行された。
米国内で株主第一主義が浸透する一方で、2008年のリーマン・ショック以降、富の格差拡大や社会的価値観の分断といった懸念が拡がり、富の分配に著しい不公平がもたらされ、社会のバックボーンとなる中間層の縮小が進行し、同時にポピュリズムが社会の不安定さをもたらした。
2019年8月に、米国の代表的な経済団体であるビジネスラウンドテーブル(BRT)が、これまでの株主第一主義を見直す声明を発表し、2020年1月には世界経済フォーラムのダボス会議において、公益資本主義が大きなテーマとして取り上げられた。このBRTの声明内容は、まさにステークホルダーへの公平な富の分配を明記しており、住友事業精神の基本に通ずる「会社は社会の公器」「三方よし」の精神が盛られていた。
米国社会の企業指針の潮流を確認すべく、関西経済連合会はミッションを2020年1月にワシントン・ニューヨークに派遣し、確かに潮目は変わりつつあることを認識した。「行き過ぎた株主第一主義によって、富の格差や社会的価値観の分断を招いている」といった懸念に加え、「企業は気候変動対策といった世界が抱える課題に貢献をするべき」「近視眼的な経営を求めるかのようなアクティビストへの批判」等も確認できた。ブラックロック等の大手ファンドも、多様なステークホルダーに配慮すべきとの方針を明らかにしており、行き過ぎた株主第一主義から脱却し、公益資本主義的経営理念の具体化が重要との潮流が生まれていることを理解した。
日本の動きを直視すると株主資本主義体制の強化が進んでいるが、米国の行き過ぎた株主第一主義を周回遅れで踏襲し、近視眼的な経営に陥り、社会の不安定化をもたらすことを憂慮する。
中長期的な視点に立った戦略的な経営、多様なステークホルダーへの公平でバランスのとれた企業価値の分配が重要であり、我が国本来の強みとして脈々と受け継がれてきた経営理念(住友事業精神等)に、光をあてるべきであり、すべてのステークホルダーは、企業の持続的成長と価値向上を望んでいる。公益資本主義に基づくマルチステークホルダー経営は、企業と投資家にWIN─WINの効果をもたらすものである。1990年以降、いわゆる失われた30年において、日本企業の従業員給与と設備投資、研究開発投資がほぼ横ばいであるのに対し、配当、自社株買いなどの株主還元については、様々な新制度に呼応するかのように急激に増加している。これでは日本経済の健全な成長は、望むべくもない。経営者は、再度公益資本主義に戻り、センスある経営判断をする必要がある。
日本経済の持続的発展と社会安定に向けて企業が果たすべき役割を見つめ直し、公益資本主義的事業精神を再検討し、実現に努力することが日本経済の活性化に資するものであると信ずる。住友事業精神は家祖政友が遺した「文殊院旨意書」を基盤とし、住友四百年の歴史の中で脈々と受け継がれており、その要諦は「営業の要旨」に凝縮されている。住友発展過程における歴代総理事が事業運営を通して発した事業精神の具体的語録は、公益資本主義の本質を述べている。変化する環境の中で変えるべきものと、変えてはならないものを判断していけば、混迷している企業統治政策にも自ずと明快な答えが得られるものと信ずる。
(住友電気工業株式会社取締役会長)
住友史料叢書「月報」37号 [2024年12月20日刊行]
※執筆者の役職は刊行時のものです。