筆者は国立科学博物館で、科学や技術の歴史に関する資料の保存・調査や展示・普及活動を行っている。時々お客様から「恐竜の発掘や動植物の新種発見など、自然史研究の醍醐味はわかるが、技術史研究の面白さは何か」と問われることがある。その答えの一つは、過去の科学者や技術者の思考と同期する瞬間であると思う。
以前、愛媛県新居浜市にある旧端出場水力発電所の遺構調査に協力する機会を得た。この発電所は住友別子鉱業所が別子銅山の主要動力源として新居浜市立川町の足谷川右岸に明治45(1912)年に設置した水力発電所である。水利権の問題などから発電用の水は遠く山向こうの吉野川水系銅山川支流から、9キロメートル以上離れた石ヶ山丈まで、別子銅山の坑内を通し、山肌に水路を作り、谷を渡らせて引いてきた。そして石ヶ山丈から発電所まで597メートルを一気に落下させ、水車を介して発電機を稼働させたのである。このような難工事を遂行できたのは、鉱山開発の技術があったからであろう。その工事の記録が住友史料館や住友共同電力株式会社に保存されている。
住友史料館御所蔵の「実際報告書」には、鉱山開発に伴って必要となっていく動力の予測やそのための経費、発電所稼働後の電力供給量が、住友共同電力株式会社御所蔵の文書には観測雨量・河川流量、取水口の位置、流域面積や発電電力の見積りが記録されている。
明治時代の発電所に関してこのように建設計画や建設後のデータ、および施設の遺構がそろって保存されていることは珍しい。そこで当時の技術者の仕事のように、端出場水力発電所の発電電力を予想してみることにした。もちろん、発電所の設計など簡単にできるわけではないが、設立時の端出場水力発電所のように流れ込み式の場合、水の流量がわかれば得られる電力を求めることは難しくない。
発電に利用できる水の流量を求めるためにはまず塗り絵である。
山歩きで必携の国土地理院発行の25,000分の1地形図には、河川や等高線が細かく書き込まれている。この地図から実際の地形を感じ取ることは多少難しいので、10メートル毎の等高線に従って同じ高度を色分けする。崖など等高線が重なり判断に迷う部分もあり、思ったほど単純ではなく充実した塗り絵を楽しむことができる。
等高線が塗り終わったら、沢など水流を示す青色の水線を山の稜線近くまで書き足す。地図に描かれた地点よりだいぶ上流から実際は水が流れているからである。こうすると地図は立体的になり山の稜線が明確になって、斜面に降った雨が尾根を境にどの沢に集まるか一目瞭然となる。
この地形図に取水口の位置を書き込み、その位置より上流の谷に降った雨はすべて沢に集まってその地点を流れると仮定して、その谷の面積を求め、月毎の降水量と流出係数を掛算すれば、月毎の流量が求まるのである。面積を求めるには半透明な方眼紙を当てて升目を数えればよい。流出計数は降水量に対する流出量の比で、地質や植生によって大きく変わるが、通常山岳地帯では0.7程度ある。
流量から発電できる電力を求めることも難しくない。月毎の流量から毎秒の流量を求めて重さに換算し、それにその水が落ちる高さと重力加速度9.8をかけて求め、これに水車×発電機の効率0.7をかければ、得られる電力が求まるのである。実際に古の技術者が行った方法とは多少異なるかもしれないが、試算結果と資料の数値を比較すると、差は数パーセントであった。
こうしてかつての技術者と同様に電力を求めてみると、渇水期と豊水期では3倍以上の差があり、渇水期の電力が不足することなども実感としてわかる。実際に当時も取水口を増やす、堰堤を作るなどの対応をとっている。
ここで行ったシミュレーションは、理科の学習教材としても面白いと思う。自ら手を動かし発電電力を求めることで、自然エネルギーの利用について実感をもって学ぶことができるだけでなく、その上で山中の遺構等を訪ねれば郷土の産業遺産の意味をより深く理解できるようになる。また現代の雨量や流量と比較することにより、現地の気候や地質まで関心を広げることが出来る。さらに全国の河川の流量や取水位置が掲載されている『発電水力調査』(大正3年、逓信省発行)を活用すれば、日本各地において同様の計算が可能である。
(国立科学博物館・科学技術史グループ長)
住友史料叢書「月報」35号 [2021年01月20日刊行]
※執筆者の役職は刊行時のものです。