住友史料館


住友史料叢書「月報」

  • 戦後七〇年と住友の事業精神・・・宮原 賢次


 今年は戦後七〇年という年であり、さまざまな場や機会に節目としての回顧やイベントが行われている。私ども住友商事も終戦直後の昭和二十年十一月に商事活動に進出してから七〇年目を迎えた。


 住友の御法度であった商事会社の発足、しかも文字通り、当社は素人集団でもあったことから、住友商事の初代社長であった田路舜也には筆舌に尽くせない苦労があったと思う。そのような素人集団を、田路社長は、「熱心な素人は玄人に勝る」と鼓舞したという話が今に伝わっている。当時の社員の「熱心さ」に加え、グループ内外の方々のご支援ご協力をいただきつつ戦後の大混乱期を乗り切り、商事会社として船出することが出来た。


 爾来七〇年、住友商事も漸く大手総合商社の一角を占めるまでに育つことが出来た。

 この戦後の歩みのなかで、事業の成長、発展を支えたものは何であったかと考えてみると、間違いなく我々の経営理念「住友の事業精神」を墨守してきたことだと思う。そして、この経営理念を社員ひとりひとりにまで滲透させるべく歴代の幹部は最大の努力を払って来た。


 この七〇年、企業を取り巻く環境は、激しい変化のなかにあった。住友商事もその間、大小さまざまな経営の危機ともなりかねない困難に遭遇して来たが、この不動の経営理念に支えられて乗り越えて来たといえる。


 近頃、コーポレートガバナンスの強化が課題になっている。

 本来、コーポレートガバナンスとは、各々の企業の有する「経営理念」の実現のための枠組み、方策ではないかと私は考えているが、昨今、少し違った視点からコーポレートガバナンス強化が課題となっているのが気になっている。


 ひとつには、グローバル化が急速に進んだ世界経済のなかにあって、海外投資家を呼び込むための方策として、たとえば、従来の日本の監査役制度に代えて、欧米流の企業経営・ガバナンスに似た形態の採用が奨められていることがある。さらには、永い日本経済の停滞もあり、日本企業の収益性が良くないのは、コーポレートガバナンスが機能しておらず、日本企業内に非効率性が温存されているからであるとの見方から、枠組みの変更によるコーポレートガバナンス強化を推奨しているものもある。


 もちろん、欧米流の経営手法のなかには見習うべき有効なものも数多くあるが、上記のコーポレートガバナンスの強化策を見ると、体裁を整えることが強化策だということになりがちではないかと危惧してしまう。現にこの欧米流のコーポレートガバナンスを採用している企業のなかにも会社経営を揺るがすほどの不祥事が起きているケースがある。欧米流の経営手法と日本のそれとの歴史的・文化的違いを十分に検証することなく形だけ導入することは大変危うい ことである。


 また、同じように、今日、欧米流のコーポレートガバナンスを採用している企業のなかにも、世界の変化のスピードに対応できず業績が低迷している事例もある。企業の収益性改善という点についても、単にコーポレートガバナンスの強化ということだけではなく、多面的な対応が必要であろう。


 いずれもコーポレートガバナンス強化を通じて、企業経営のあり方が問われているわけだが、この際、長期的視点での経営、相互信頼関係の重視、将来への投資、長期雇用による会社へのロイヤリティ等々、かつて注目されていた日本的経営の良さ、強さをも認識することが大事なことだと思う。それらはいずれも高潔な企業倫理の裏付けなしには存立しえない事柄であろう。


 かような意味で企業経営のあり方、コーポレートガバナンスとして、今日、一番論じなければならないのは、高潔な企業倫理の確立ではないだろうか。「仏造って魂入れず」ということがないよう、企業で働く者のひとりひとりがこの高潔な企業倫理に裏付けされた経営理念を肝に銘じ、実践していくことこそ大切であると考えている。

 このグローバル化の時代に改めて住友の事業精神の時代を超えた普遍性を思わずにはいられないのである。

(住友商事株式会社名誉顧問)
住友史料叢書「月報」30号 [2015年12月15日刊行] 
※執筆者の役職は刊行時のものです。