住友史料館


住友史料叢書「月報」

  • グローバル時代にますます求められる住友の事業精神・・・米倉 弘昌

 日本企業を取り巻く環境変化をこの30年で俯瞰すれば、実にさまざまな描写ができよう。その中で「グローバル化」を挙げることに異論の余地はないだろう。人口減少社会の日本にあって、海外の市場や人材を広く取り込むべく「グローバル化」を進めなければ成長は望めない。2000年に26%であった当社の海外売上高比率も、15年で60%を超えた。


 社長をしていた03年、米国の投資顧問会社から、世界最大の石油企業サウジ・アラムコが、サウジアラビアで石油精製と石油化学事業を一体運営するプロジェクトのパートナーを探している、との話が持ち込まれた。中東情勢が混沌とする中、地政学的リスクを如何に捉えるかが、検討にあたっての最大の課題だった。複数のコンサルタントの調査結果は、“Manageable”、〝管理可能なリスク〟だった。それでも社内では意見が割れた。しかし、経営における判断というものは、その時点で知り得る限りの情報を基に時期を逸することなく最善と考える決断をしていく、そして一旦決断をしたら英知を尽くして目標を実現していくのだという強い思いが私にはあった。そうした思いの下、可能な限り自分の目でも確かめ、専門家の意見も入れ複眼的な分析を進め、実施すべきであるという結論に達した。


 遡ること四半世紀。71年、当時の長谷川周重社長がシンガポールを訪問した折、同国政府から再三にわたる事業進出の要請を受け検討を始めた。73年に調査団を派遣、原料調達面やアジア市場の成長性に「事業性あり」と判断し、75年に基本契約を締結。しかし、第一次石油危機もあり75年後半から世界的不況となり、拡大一途だった日本の石化産業も同年初めてマイナス成長となるなど「難局の時代」に突入した。しかし「このプロジェクトはアジアで最初に日本企業が手掛ける国際規模の事業だ。今は経済状況が悪くとも、アジア市場が成長すればいずれ好転する。断念するより一旦約束したのだからできる限り実現の方向で努力しよう。そのためには、当社一社でなく、多くの日本企業と政府の協力を得るようにしよう」との長谷川社長の強い考えで進めていくこととなった。交渉は難航したが、77年、日本企業22社と政府との協力を得て投資会社を設立。苦難のスタートとなった「シンガポール石化」は、その後アジアの急成長を受け増設を繰り返す。当初離れ島だったその場所は、周囲六つの島とともに埋め立てられ地続きとなり、九十を超える世界企業が進出する一大化学基地に発展するに至った。


 私は当時、課長としてこのプロジェクトに携わっていた。振り返れば、環境が厳しさを増し計画推進が難航する中にあっても、「信用を重んじ確実を旨とする」という住友の事業精神を尊重し、「やる」と約束したことは必ずやり通すという経営者の姿勢を、当時体感していたのかも知れない。そしてシンガポール発展の様子を見るにつけ、「自利利他公私一如」、「住友の事業は、自社の利益ばかりでなく、パートナー、地域社会、国家に貢献するものでなくてはならない」という考え方、そして300年近く続いた別子事業に象徴される「企画の遠大性」、「何事にあたっても遠い将来を見据え綿密に計画を立て、すぐに結果がでなくても次代、三代にわたって開花させるよう努力を続ける」という住友の精神に、強く共感するようになった。


 四半世紀後、アラムコとの交渉。アラムコは、世界の石化企業35社をリストアップ、17社に絞り、さらに3社とした。そして最終的に当社を選んだ。なぜか。のちのアラムコ側の発言から推測するに、当社の技術力や多様な事業経験、シンガポール計画の実績、アジア市場での販売力等が挙げられる。加えれば、直に向かい合って交渉を進める中で、「信用を重んじ確実を旨とする」、「自利利他公私一如」を説明、するとアラムコのトップからも、同じような理念が紹介された。誠実な姿勢や信頼を重んじる考え方に双方響き合うものを感じた。このことが、プロジェクトが実現に至った大きな要因であったことは間違いない。


 昨年、当社は開業百周年を迎えた。別子の銅製錬の際に生じる亜硫酸ガスを化学変化で過リン酸石灰に転換し煙害を克服する「住友肥料製造所」として当社は誕生した。技術の力で環境問題克服と食糧増産に寄与するという「自利利他公私一如」の精神を生まれながらにして持っていたことは、当社にとって幸運だった。


 リーマンショックやICT(情報通信技術)の例を挙げるまでもない。ある国で起こった出来事が、瞬く間に世界中に広がる時代に私たちは生きている。グローバル化は、同時に競争激化を余儀なくする。しかし、自己の利益のみをひたすら追求し他者を顧みないやり方では長く続く繁栄は実現できない。気候変動、食糧、水資源、エネルギー、感染症。持続可能な社会の実現には解決するべき課題が山積している。日本のもつ技術力をグローバルに展開し、諸課題を地球規模で解決する。グローバル時代にあって、「自利利他公私一如」をはじめとする住友の事業精神が、当社にとっても、日本企業にとっても、ますます求められていると改めて感じている。


(住友化学株式会社相談役)
住友史料叢書「月報」31号 [2016年12月15日刊行] 
※執筆者の役職は刊行時のものです。