住友史料館


住友史料叢書「月報」

  • 「史料の公開と共同研究の可能性を拡げる」・・・武田 晴人

 住友家の事業に関する史料は、私にとって厚く高い壁に閉ざされたものだった。1970年代から産銅業史を主たるテーマに研究を始めた私は、主要産銅企業に対して歴史資料の閲覧のため、ツテを辿ってアプローチを試みていた。そのなかでもっとも扉が開かなかったのが住友史料館だった。住友家関係者の紹介で京都にあった史料館を訪れたときには、別子銅山の経営を担う金属鉱山会社の許可が必要と断られ、金属鉱山会社の紹介状をもって訪問したときには資料の整理が済んでいないと断られ、むなしく東京に戻った。それでも二度三度と連絡を取ったが、いつも色よい返事はなかった。

 1983年に麻島昭一さんの『戦間期住友財閥経営史』(東京大学出版会)が刊行されて史料館が資料の宝庫であることは窺い知ることはできた。しかし、麻島さんには住友関係会社の社史編纂など仕事として見せただけだと、部外者の資料閲覧を拒絶された。

 そんなことがあって『日本産銅業史』(東京大学出版会、1987年)をまとめる際には、住友・別子鉱山に関する情報は鉱業雑誌や各工学部に残る実習報告などを利用するにとどまることになった。ちょっと残念だったが、いつまでも先延ばしに出来なかったし、延ばしても好転するとも思えなかったからである。ところが、その執筆が終わった直後に住友金属鉱山会社から『住友別子鉱山史』(1991年)の監修を依頼され、別子の「実際報告書」などを見ることができた。住友史料館には未公開の貴重な資料が残っていることを確認できたことは幸いだったが、個人的に「いまさら」「後の祭り」と感じたことは、悔しい思いとともに今でも鮮明に思い出す。

 住友史料館の側にも事情があったのだろう。私の研究の進展と史料館の公開の準備の時期が大きくずれていたことということになる。そうした中で、この四半世紀の間にも、ゆっくりだが資料の公開が進められてきた。その代表的な成果が『住友史料叢書』の刊行ということになる。ようやく、その対象となる時期が近代に近づいて、財閥史研究に大いに役に立つに違いない。他方で『住友史料館報』の刊行によって史料館研究員による研究成果も続々と発表されるようになった。とくに山本一雄『住友本社経営史』(2007年自費出版、のちに京都大学学術出版会、2010年)は、本社部門に焦点を当てて詳細な資料を紹介するとともに厚みのある研究書となった。最近では、若い研究者の斬新な関心に基づいて魅力的な論文が公開され、また、別子鉱山に関しては京都大学の渡邊純子さんが私の産銅業史研究を補うような論文を書いている。史料館の研究員の活躍により、住友の事業史の研究はいま勃興期にあるということだろう。

 そんな住友研究の動向を眺めながら、現在、三井文庫の文庫長である私は、一つの夢を抱いている。これは一昨年なくなった前住友史料館長下谷政弘さんと生前に語り合い、意気投合したことなのだが、三井、住友、それに三菱史料館も加えた三機関で財閥史に関する比較研究・総合研究を組織したいというものである。財閥ごとの研究が、しかも傘下個別企業に関する実証研究が分析精度を高めながら現在進行中である。それ自体は三機関がそれぞれに取り組んできた史料公開の結果であることは間違いない。しかし、そうした方向を深めるだけでは、なぜ財閥を研究するのかという背後にある問いかけが不明確になるだろう。

 比較研究は、三大財閥の共通性も差異性も両方をともに明らかにしていく必要がある。たとえば、財閥同族の性格について、近世期以来の歴史のある三井と住友に対して、近代に入って事業を開始した三菱とは差異性があることはよく知られている。ひとかたまりの同質性をもつことに力点のあった私の『日本経済の発展と財閥本社』(東京大学出版会、2020年)を超えたより総合的な研究成果が生まれることを期待している。

 そのような経済史・経営史研究の新たな展開のために、史料の宝庫である三機関の協力は大きな力を加えてくれるだろう。三井文庫は現在所蔵資料のデジタル化とその公開の準備を進めている。これが実現すれば、三機関の研究員の相互交流による共同研究だけでなく、財閥史研究に対する若い研究者の利便性も高まり、関心を呼び起こすことになる。そんな日が一日も早く来ること願ってやまない。

(東京大学名誉教授、三井文庫文庫長)
住友史料叢書「月報」37号 [2024年12月20日刊行] 
※執筆者の役職は刊行時のものです。