住友史料館


住友史料叢書「月報」

  • グローバル時代の人材養成・・・・・・川上哲郎

 今は遙か昔となったが、敗戦後6年を経たある晩秋のタベが、いまだに脳裡に刻み込まれている。

 恩師古川栄一教授の研究室に、就職の内定報告と卒業論文のテーマの相談に伺った私に、「住友は人を大事にする良い会社だ。それに社員の教育制度も整っている」と、暖かい温顔が窓外の林間に沈みゆく日差しに美しく映えていたのを思い出す。

 当時の日本は、敗戦の傷痕が深く残り、イデオロギーの対立を背景に労使の激突が続き、経済の先行きは暗かった。

 戦後、いち早く米国のジェームス・バーナムの「経営者革命」を紹介し、「日本経済の再建は、使命感をもつ新経営者のあり方と活動にかかっている」(『新経営者論』産業経理協会、1948年)との持論を論壇で展開し、左翼の破壊活動と身を挺して戦った教授は、個別企業の経営実態にも明るかったのである。

 翌年4月、全国から集まった世間知らずのわれわれ新入社員は、会社が立案した半年に及ぶ綿密な実習計画と、全員合宿の寧静寮生活によって、充実した日々を送り、次第に住友人としての人格を形成していったように思う。

 1945年、戦いに敗れ、主要都市と工場設備が灰燼と化し、一旦は社会と人心が極度に荒廃した日本が、1950年から40年にわたる奇蹟の持続的高成長を成し遂げた要因については、これまで多くの学者、官僚、エコノミストからさまざまな見解が披瀝されている。その何れもが各論としては正しいが、最も重要な点は、生産に携わった人々の真面目さと、高いモラールであり、われわれが実際の作業現場で体得したことでもあった。当時は、伝統的な熟練作業から米国式の量産方式への移行期であったが、各職場で全員がT・W・I研修(企業内訓練)やI・E手法(生産技術)を勉強しながら実地に応用して、年々生産性を向上させていた。こうした各企業の業績が日本独自の全社的品質管理方式(T・Q・C)を開花させることになり、1990年には、一人当たり国民所得が米国と並んで世界のトップに躍り出る原動力になったのである。

 われわれの実習日程では、終わり近くに2泊3日の別子銅山と四阪(しさか)島の見学、視察が組まれていた。当時は海面下1000メートルの深部操業が行われ、作業場の地熱は50度、強力なクーラーの下での採掘作業がチームワークによって遂行されていた。

 このような厳しい各作業現場の実習によって、新入社員に技術進歩と管理技術の重要性を体得させるとともに、住友の事業基盤を築いた別子銅山と精錬所を見学し、260年余(当時)にわたる歴史の中に、住友の事業精神を探ったことは、ただに過去を追憶することではなく、現にわれわれの事業の根柢を確かめ、将来への展望を拓くことでもあった。

 あれから58年、星霜移り人は変わった。企業経営の環境は一変し、グローバル化、事業のフラット化が現在なお進行中で、住友各社も国際市場に展開し、国家間・企業間競争は一段と激しく、会社のスケールが拡大するとともに、リスクも増大している。時代の変化とともに、人々の価値観・経営観も変わることはやむを得ぬとしても、いやしくも住友各社のリーダーたるものは経営の基本哲学を継承し、どのような事態が訪れようとも、自社の使命を自覚し、住友の名に恥じない行動が望まれるのである。

 冷戦終結後の20年間にわたる日本の衰退の原因は、日本人の倫理、精神の崩壊と社会のモラル低下にあり、さらに各界リーダーの質的劣化によると言われている。日本経済の再建、活性化のためには、古来の伝統である業務の「公私一如」、私生活における「公私の別」の基本を復活させ、各層に教え込む必要がある。

 折しもNHKテレビ放映のハーバード大学、マイケル・サンデル教授の政策哲学「これからの正義」の対話講義が大人気で、発売3ヶ月で教材の売上げは30万部に達するとのことである。洋の東西を問わず、人々は古典(教養)と歴史の教訓を求めているのであろう。

 民主主義という制度は、とかく実利的な知識を重んじ、人間として基本的な教養を軽視しやすいという特質を絶えず検証し、時代の風潮に警戒することが、これからのリーダーに求められる資質でもある。

(住友電気工業株式会社名誉顧問)
住友史料叢書「月報」25号 [2010年12月15日刊行] 
※執筆者の役職は刊行時のものです。