住友史料館


住友史料叢書「月報」

  • 住友家歴代の文事と公家文庫・・・・・・日下幸男

 住友家歴代の文事については、すでによく知られているだろうが、公家との関わり等についてはどうであろうか。もちろん近代における徳大寺家とのつながり等は有名であるが、それ以外の公家とのつながりについては、果たしてどうであろうか。

 今般、月報への寄稿を求められたのを機会に、私なりに日頃の恩恵への感謝の気持ちの一端を述べて、責めを果たしたい。

 住友家からの恩恵は多くある。たとえば渡辺武氏は、大阪府立図書館、大阪市立美術館と慶沢園、大阪城天守閣、大阪市立東洋陶磁美術館などは、みな住友家による全額寄付または巨額の寄付によりなったものであると紹介し、
  豪商の多い大阪においても、突出して比類のないものであるが、真の意味のメセナの先駆者と
  いえるのではないか。そのような発想と行動を生み出す哲学があったと考えられるが、何故
  住友家にのみそれがきわだって形成されたのか、私にはまだ判然としない。
とする(「住友家のメセナ」『住友史料叢書月報』13)。確かに、世間にメセナという概念すらないような時代から、これらを実現させた根源が何かは興味ある問題であり、解明する必要はあろう。

 その一つである大阪府立図書館の蔵書について多治比郁夫氏は、
  住友吉左衛門氏の … …寄贈は明治36年に始まり数次にわたるが、明治期寄贈の2,795冊は
  すべて家蔵書である。和古書に「住友」「住友氏蔵」「住友蔵書」のほか、吉左衛門氏の
  生家徳大寺家の所蔵であったことを示す「徳大寺文庫」「徳大寺蔵書」「清風館」(同家
  別荘)などの蔵印を捺したものがある。
とする(「中之島図書館と住友吉左衛門氏」同月報16)。

 確かに私が閲覧した同館の貴重書、『長好師家集』や『古今集両度聞書』などは、望月長孝の和歌門弟であった第3代住友吉左衛門友信との関わりによるものであろう。ではなぜ住友家だけではなく徳大寺家の蔵書を含むのか、それについては周知のことではあるが、鈴江幸太郎氏『清泉院小伝』(1975年)により、確認してみよう。右によれば、
  清泉院昭誉春翠良純居士は、住友家第15世住友吉左衞門友純の諡号である。
  友純は、元治元年 … …徳大寺家の別業である洛北田中村の清風館に、時の右大臣従一位徳大寺
  公純の第六子として生誕した。……多くの同胞があつて、長兄は26歳の従二位権中納言実則、
  二兄は16歳で正三位左中将の西園寺公望、その下に9歳の中院通規、6歳の威麿とこの前年に
  生まれた美麿があつた。
云々とある(公純の実父は鷹司輔煕である)。

 徳大寺公純の第六子が住友家に入り、明治26年に住友吉左衛門友純となったことにより、のちに大阪府立図書館には住友家とともに徳大寺家の蔵書が寄贈されたわけである。

 さらに国文学者等にとって大事なことは、三兄中院通規から中院本や中院文書がそっくり京都大学に寄贈されたことである。お気づきのように、それには住友吉左衛門友純の存在が関わると思われる。私たちは、京都大学附属図書館で中院本を閲覧するたびに、「男爵住友吉左衛門寄贈」の印が捺されているのを見て、なぜだろうと不思議に思うことがあったのだが、住友家と徳大寺家・中院家とのつながりを知って、やっと腑に落ちた感じがしたわけである。

 中院本『当家略系図』によれば、
  通冨〔実徳大寺故前内大臣実堅公次男 ……〕─── 通規 ……
とある。

 京都大学電子図書館の説明書きによれば、中院文庫は大正12年に寄贈を受けた故中院通規伯爵の旧蔵書で、中院家に伝わる数々の記録文書・写本など、和書が中心となっている、とされる。

 私事ながら長年中院本を閲覧して研究を進め、この10月に『中院通勝の研究』(勉誠出版)を刊行させていただいたばかりである。私どもは今後もその恩恵にあずかり続けることと思われる。

(龍谷大学文学部教授)
住友史料叢書「月報」28号 [2013年12月15日刊行] 
※執筆者の役職は刊行時のものです。