住友史料館


住友史料叢書「月報」

  • 苦難を乗り越える・・・高橋 温

 企業が歩む長い歴史の中には、幸運に恵まれた時期があるとともに、必ず苦難の時期があって、それを乗り越えることができた企業が今に生き残っている。どのようにして苦難を乗り越えることができたのか。これは持続可能な企業経営を実現する上でも核心となる課題である。


 苦難に遭遇してそれを切り抜けようとした企業や組織の例は枚挙に暇がないが、その努力の中心には、必ずと言ってよいほど傑出した人物の活躍があったはずである。私は特筆すべき人材として、広瀬宰平と石橋湛山を掲げたい。


 広瀬宰平は、別子銅山の支配人であった明治維新の際、銅山接収の危機に直面した。接収に訪れた土佐藩の川田小一郎に対し、別子銅山は幕府領であるが、住友家が発見し独力で経営してきたものであり、新政府がこれを没収し、経験のない者に任せるというのであればそれは国益に反する、と訴えた。これが川田の心を動かし、最終的に新政府から別子銅山の継続経営が許可された事績が有名である。


 石橋湛山は、戦前はジャーナリストとして、『東洋経済新報』誌上において早くから普通選挙のキャンペーンをはり、日中戦争から敗戦にかけては、勇敢にも戦争を回避しその長期化を戒める論陣を張ったがゆえに、政府から監視の対象となり、廃刊の恐れとも戦った。戦後は政界に転身して大蔵大臣、通産大臣を歴任後、短期ながら総理大臣にまで上りつめた稀有の人材である。


 広瀬宰平は、前掲の如く新政府から別子銅山の経営権を確保し、その後も住友の初代総理人(後の総理事)として住友の事業基盤を守り発展させた功績が知られている。しかし、広瀬の真骨頂は、そこで働く人々がいる事業そのものを万世不朽のもの、と考えたことにある。


 別子銅山の経営権を確保した後も、大名貸しの焦げ付きや、別子銅山の経営そのものの不振から経営難は続いた。一難去ってまた一難である。そこで大阪の重役たちが、別子銅山を売却して負債を償還するとともに住友本家の維持存続を図ろうとしたが、広瀬は大反対をして売却を食い止め、経営再建に取り組んだ。

 広瀬のこうした考えは、明治9年(1876)「本家第一之規則」の「予州別子山の鉱業は重大にて、万世不朽我が所有する不動産にて、他に比すなく、後来の利害得失を謀り、勉励指揮する事」につながり、そして「浮利に趨(はし)り軽進す可らざる事」で知られる明治15年(1882)「明治十五年家法」の「予州別子山の鉱業は、万世不朽の財本にして、斯業の盛衰は、我一家の興廃に関し重且つ大なる、他に比すべきものなし」へとつながってゆく。


 石橋湛山は筋金入りの自由主義者であり、戦争の足音が日増しに大きくなる中で自説を貫いた気骨のジャーナリストである。日本の危機といえる時代の言説の中から、企業経営に通じるものを二つ掲げておく。


 一つは「先ず功利主義者たれ」と題する論評である(大正4年〈1915〉・『東洋経済新報』社説)。第一次世界大戦に勝利して日本が中華民国に提出した「対華二十一カ条要求」を批判した文中に、「自己の利益を基本とすれば、自ずと、相手の利益も考えなければならないことになる。相手の感情も尊重しなければならないことになる。商人は儲けるために、決して相手の感情を損なったりしない。また、相手が損をすることを願わない。取引相手が自分に好感情を持ち、豊かに繁栄することが、いずれ自分の利益になることを知っているからである」としている。


 もう一つは「現今の我国の不景気と新産業革命の必要」で述べた慧眼である(昭和3年〈1928〉 『地方行政』)。欧米へのキャッチアップは終わった、というフレーズは、昭和54年(1979)にエズラ・ヴォーゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を出版したころから盛んに使われだした。湛山は早くも、「わが国の産業の進歩は、およそ第一次世界大戦前までに、ほぼ到達しうるところまで到達し尽しました。これからは是非、日本独特の工夫を産業の上に施し、単なる西洋のまねでない仕事をしなければ、発展の余地がないところまで来てしまったのです」と指摘し、新産業革命を提唱していた。


 湛山の言説は時の政府に受け入れられることなく、時代は戦争、敗戦へと突き進んでいくが、こうした傑出した人材を見出し、その意見を取り入れることができるかどうかが、その組織(政府)の実力を示しているとも言える。


 企業であれ国であれ、危機に瀕したときにどうやってそれを乗り越えるか、これは永遠の課題である。大事なのは組織か人かと問われれば、もちろん両方大事ではあるが、どちらと言われれば、私は人が大事と答えたい。


 企業や組織が一定の実力を備えているなら、苦難の時期には、必ずと言って良いほど傑出した人材が現れる。旧弊に陥ることなくその人材を見出し、そのリーダーシップに期待をかけることが、苦難脱出につながる有力な道である。


(三井住友信託銀行株式会社特別顧問)
住友史料叢書「月報」32号 [2017年12月15日刊行] 
※執筆者の役職は刊行時のものです。