住友史料館


住友史料叢書「月報」

  • 銅輸出再許可のころ・・・・・・松井洋子

 1637年に銅輸出が禁止されて以降、バタフィアのオランダ東インド総督および評議会は輸出の再開を望み、商館長に対し3,4000ピコルすなわち3,40万斤を1ピコルあたり10~12タエル(1タエルは銀10匁)で獲得するよう指示していた(1644年5月2日付書翰)。輸出が許可されたのは1646年9月7日であったが、平戸時代とは異なる環境の中でどのように銅取引は再開されたのだろうか。『日本関係海外史料 オランダ商館長日記』(東京大学史料編纂所編、東京大学出版会)所収のオランダ側史料から紹介してみたい。

 許可から2か月もたたない10月末に出帆したオランダ船は、6隻が合計42万4000斤余の銅を積載していた。価格は1ピコル(100斤)あたり8~9タエルと、輸出禁止以前より低廉であった(鈴木康子『近世日蘭貿易史の研究』第三章・第四章、思文閣出版、2004年)。この銅の集荷については商館長日記に記載がないが、翌1647年9月30日、商館長フルステーヘンは「パンカドと同じように、唯一、皇帝の5箇所の〔直轄〕都市の代表者から、1ピコルあたり9タエルで」購入すると述べており、この年は五箇所商人が日本側の代表として契約をしたことがわかる。仕訳帳にみる1647年の実際の受け取り価格は品質によって8から9.2タエルであった。

 ところが、安い銅の純度には問題があった。東インド総督および評議会は、入手された日本の棹銅は、不純物のシロメ(白目・白味)が混じり品位が低いので、コロマンデルでもペルシャでも売れ残っているとして、取引や契約を慎重に行なうよう命じ、事前に良い銅の見本を提示し、受け取った時にはいくつかの箱から何本かを砕かせ、中の色を見て判断するように、と詳細な指示を与えている(1648年7月14日付訓令)。

 これを受けて、1648年度の商館長コイエットは、混ぜ物の多い銅は価格が安くとも購入しないことを決め、交渉に臨んだ。商人たちは良質の銅には高値を主張した。価格交渉は11タエルと12タエルの間で膠着し、船の出発前には決着せず、この年は銅の輸出はなかった。コイエットは後任のスヌークへの引継書の中で、以前のような10タエル以下の価格は難しいものの、かなりの量が長崎に運ばれればより望む値段で決着できるとの見通しを示し、オランダ側の渇望を見せないよう忠告している(1648年12月8日付)。

 コイエットの予想通り、1649年1月になると、「ある有力な商人が20万斤の銅を送り出そうとしている」という話が聞こえてきた(21日)。また、前年のうちに長崎まで運ばれていた銅は、長崎湾の南側でオランダ側の渡した見本に従って再精錬されることになり、仕上がった銅は見本とほぼ一致していることが確認された(4月17日)。さらに、通詞と出島乙名を通して、長崎奉行馬場利重の親族が売りたがっているという銅の見本も持ち込まれ、長崎には銅が集まっていた。

 奉行は、売り物の銅を持っている者は誰でも見本を持って商館に来て商売をしてもよい、と認め、それにより売り手たちが妥当な価格に歩み寄ることを期待する一方、個別の価格交渉を認めず、統一価格での販売を命じた。売り手の銅商人の数は20人以上に上り、10月10日に価格の交渉が始まると、彼らの言値は13タエル5マースだった。昨年決裂した言値11タエル7マースと付値11タエル3マースから交渉を再開するつもりだった商館長との間に駆け引きが繰り返され、10月17日、価格はようやく妥結し11タエル6マースで40万斤の契約が結ばれた。

 銅の引き取りは、計量し各箱を封印し、供給者と点検したオランダ人の名を記して、京都・堺・大坂・長崎の仲間各々に指定された倉庫に納めるという手順で、品質の劣るものが発見された場合すぐ供給者がわかるよう厳密に管理された。しかし、船の出港期限は迫っており、また粗悪な銅も発見されたため、結局この年は契約した銅の一部は受け取れず、30万5500斤が輸出された。

 1650年度には商館は、積み残し分を含め31万9500斤の銅を前年と同じ価格で、船の到着や取引開始より早い6月15日に受け取り終わっている。これを機に1651年、商館長は銅の閑散期取引を願い出たが、この年の許可は最初の船の到着時に与えられた。翌1652年には、商館長が江戸に参府した際に再度在府の奉行馬場から早期取引の許可を得ている。これにより到着船の荷降ろしの後バラストとして石を運び込む手間がなくなり、以後、船の荷を降ろしつつ代わりに銅を積むのが、貿易期の作業の手順となった。

 初めて商館の仕訳帳に泉屋(住友)が登場するのは1652年とされる(鈴木前掲書)。それはまさに、交渉を重ねながら円滑な銅輸出の仕組みが整えられてゆく時期であり、1650年代後半には銅商人の組織化も進み、輸出量も増加を見せるのである。

(東京大学史料編纂所教授)
住友史料叢書「月報」27号 [2012年12月15日刊行] 
※執筆者の役職は刊行時のものです。