住友史料館の前身は、遠く明治20年(1887)に遡ることができます。
当時わが国では、近代的な史学の手法に基づく国史の編纂事業が開始されていました。とりわけ旧大名家を中心に修史事業が盛んに展開されます。
住友家では、そうした流れの中で、大阪の鰻谷本邸(大阪市中央区島之内1丁目)に専任職員を置き、事業と家の歴史に関する古文書を集め、家史編纂を始めます。住友の歴史編纂は、民間が手がけたものとしては、最も早い部類に属します。
大正7年(1918)には、住友総本店内に家史編纂室が設置されました。極めて小規模でしたが、恒久的に史料の収集と編纂を続ける体制がつくられます。第2次世界大戦では、幸い古文書類の損傷は免れたものの明治・大正時代に編纂した成果の多くを失ってしまいました。
戦後、住友本社が解体されると、家史の編纂は住友グループ各社の共同事業として継承されます。昭和25年(1950)には「修史室」と名称を改めました。
修史室の所在も、はじめは大阪北浜の住友ビル(現在の三井住友銀行大阪本店)でしたが、新住友ビル(現在の住友ビル)へと移り、昭和41年には、京都鹿ケ谷の住友本邸内に「住友修史室」が設けられました。さらに昭和52年、神戸住吉の本邸跡へ移転します。
昭和60年(1985)は、住友家初代政友の生誕400年にあたり、記念事業の一環として現在地に新しい施設を建設しました。昭和62年10月、これを「住友史料館」と改称し、以降は当地で、古文書をはじめとする貴重な資料の収集・保存・活用を積極的におこなっています。
住友史料館では、住友グループ各社の共通の歴史に関する研究・編纂をおこなうとともに、その成果を住友各社、大学・図書館・研究機関などに公表しています。また、住友各社の社史編纂や、社員研修などにも協力しています。